Chipped Chocolate Cake

ひとりごとの小屋ん中

一番最初の記憶

 

 

みなさんありますか。

 

自分の一番最初の記憶。

 

 

私の場合、ベビーベッドの中で天井に吊るされているやつを見上げながら

「ここはどこだろう」

「なんていうところに来てしまったんだろう」

 

 

と思った記憶ですね。

 

一瞬だったけどはっきりその瞬間を覚えています。

 

天井からぶら下がるベビー用品、調べてみたら「ベッドメリー」と言うらしい。へー。

オルゴール機能が付いていたと思うので、流れていた曲も覚えています。

が、鼻歌は歌えるが曲名は知らない。電話の保留で流れていたような気もします。

 

 

その時はひいじいちゃんが90歳近くで生きていました。

青い縞模様の寝巻きの紐を緩く締めて羽織っていて、常に肌着が見えているノッポなおじいちゃんでした。

また側頭部にしか髪の毛がなかったので、後光のように茶の間の明かりが彼の頭にさしている訳ですね。後光の差したシワくちゃの黒い顔、ベビーベッドを覗く逆光の影。

 

その印象が私の中でのひいじいちゃんでした。

 

「ここはどこだろう」

「なん(てとこに)(でここに)来てしまったんだろう」

 

はっきりと、突然ですが脳みその中にそんな思考が現れました。

おそらく産まれて数ヶ月で言葉をまだ知らなかったはずなのにです。

ただただ、言葉にならない「???」

っていう感じでしょうか。

 

その時茶の間にいたのがひいじいちゃんだけだったので、そう思ったのかもしれませんが、ああ、ひいじいちゃんなら知ってるかな、と思いました。あの時ひいじいちゃんに、「ここがどこか知ってる?」と聞きたかったです。

なんか知らないけどね。

でもやっぱり不思議に思っているのでいっぱいいっぱいでした。

だって言葉を知らなかったから。

 

ほんの一瞬でその思考はどこかへ行って、そのまんまです。

もし輪廻転生や前世なんていうものがあるとしたら、その時に、私と、私になる前の誰かの魂みたいなものが、私の中に混在していたのではないでしょうか。

その思考が消えたあの瞬間に、私になる前の魂も消えたんだと思います。

 

最近までそういう感じで納得していました。

その時の映像を今でも時々思い出します。音も付いてきます。

 

 

 

最近、近藤聡乃さんの「不思議というには地味な話」を読みました。

 

その中に、

「よく遊んでいた子達と記憶が混じってしまった可能性」

「よくあった状況にいる人たちと記憶が混じってしまった可能性」

 

というフレーズが出てきたのです。

 

 

あああ!なるほど!

納得です。

 

いや、違うような気もします。

でも、もしかしたら、

 

妹のベビーベッドを覗いていた私や、私のベビーベッドを覗いていた兄や、茶の間によく座っていたひいじいちゃんと記憶が混じった可能性

 

あるような気がしないでもないような。

 

それにしては変だよな。

「なんでここにいる」という感覚なのでね。

 

 

 

 

 

 

どうでもいい話でございました。

 

 

 

 

 さあさあ、

 

 

本日ですが、やっと内定を頂いきました。

やはり貯金はほぼそこをついてしまったのですが、

なんとか感とか生きながらえそう。

 

小さな部署みたいだし、

何かひと風吹かせてやろうかなとも思うのですが

とりあえず今日明日は祝杯をあげて、来週からまた頑張ろう。という

 

 

 

 

そんなこんなです。

 

 

 

 

 

路地.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青春ソルトスプラッシュ

 

 

最近「モブサイコ100」にハマってます。

路地です。

 

 

 

昔から師弟ものとかバディものにめっぽう弱いのですが、見事にクリーンヒットしましたこの作品。

ざっくり解説すると、

 

チート的超能力の才能を持つ「モブ」こと中学二年生の影山茂夫くんが様々な葛藤を繰り返しながら青春を謳歌していく(?)物語です。

でも恋愛要素は今の所ほぼありません。人生味の話や、バトルシーンの割合が大きい。 

 

 

 

この作品、彼を取り巻く人物達も魅力的なんですよね。

 

 

 

優秀で容姿端麗、でも強大な力を秘める兄に対して密かにコンプレックスを抱く弟、律(名前がステキ)

モブと同じく先天的に超能力が使えるけれど、その力をためらわず使い翳して生きている「テル」こと花沢輝気

一度モブに除霊されたけれど、「神になる」という野望のためモブに取り入ろうと留まる上級悪霊「エクボ」

そして、「霊とか相談所」を経営しモブを時給300円でアルバイトさせる自称霊能力者霊幻新隆

 

 

 

f:id:t-sameco:20160921213904j:plain

 

 

私、この霊幻新隆にやられました。

 

 

モブは霊幻のことを「師匠」と呼び、安すぎる時給をものともせず放課後のアルバイトに勤しみます。

霊幻は自身を「今世紀最大の霊能力者」と謳います。が、自称霊能力者です。霊感まったくありません。

アルバイトのモブは時々疑いつつも師匠と共に依頼へ赴き、必要とあらば超能力でサクッと除霊してしまいます。

霊幻は数々のアナログな必殺技を持ち、「霊の仕業じゃない」と判断した依頼についてはアナログで、(時にはデジタルで)解決していきます。また口が上手く、言論で相手を負かすことについては自負している描写があります。

要するにハッタリをかまして、相手を押し通していくという詐欺師的スタイルで営業しています。ハッタリですので、時々本物の霊の仕業に遭遇して現場からモブに連絡をとることも。

 

ただ、悪徳ではないことは確かなはず。笑

どちらかといえばギリギリ人助けになっているようです。

 

なので本格的に霊の仕業の時は、ほぼモブの力頼りです。というか、モブがいないとできない仕事の方が多い。多分。

 

しかし!モブがその若さゆえの悩みを抱えている時には、鋭い洞察力でさらっと手を差し伸べてくれます。時には悪徳詐欺師相手に言論で負かしつけ、モブを守ってくれたり。そして、「超能力は個性の一つ(使いようである)」「お前の人生はお前が主役」など、名言を駆使しモブを導いていくのです。

 

確かに何の超能力も持っていないけれど、ただ「(人間の)大人として」行動する人物。

 

この大人。かっこいいと思いませんか。

 

話が進むと大人の超能力者もたくさん出てきますが、どいつもこいつも自分の持つ力が「超能力である」ということを自分のアイデンティティにしています。

何の能力も秘めていないただの人だからこそ、霊幻という存在が際立つんですね。

 

 

モブサイコ100」は現在テレビアニメ11話まで放送済みです。

マンガワンというアプリでは原作もお楽しみいただけます。

 

アニメはめっちゃ動く上に製作陣のセンスが光ってます。来週が最終話。見逃せません!!

 

というか既に2期を期待している!!!笑

 

 

 

 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

昨日は妹と久しぶりに電話した。0時から4時までしゃべりっぱなしました。

自分の時のこと意識して覚えてるからそう思うのかもしんないけど、刻々と成長してるなーって思った。

私の妹だもの。

こう、一筋縄ではいかないところがあったりして、かわいいな〜と思いますね。

 

と同時に、やっぱり末っ子性質で、うまくやる人だな〜自分もこうだったらな〜とも思う。

自分めっちゃ面倒くさい姉だもんな。あの子の前だと。

 

でもやっぱり尊敬します。

モブも律のこと尊敬してるって言ってたな。そう、その感じ。ほんとわかる笑

 

 

さて。もうすこし手を動かしてみます。

 

 

 

路地

 

 

 

2016年9月14日

 

もういない あのこ どこへ帰ったの

耳と、頭の中のほんのちょっとが覚えてる

 

オレンジ 紫 紺色 

赤 茶色 ピンク色

テレビと夕日の光が混じる あの部屋

終わらないゲーム 赤と緑のトレーナー

繰り返す定位置からのスタート 

何度も 何度も 耳が覚えた音

 

囲炉裏を埋め立てたこたつの匂い  

化粧鏡 つげの櫛

紺色の着物 黒目が二つ

 

100年を経て

そこに わたしがいた

 

それが日常であり

現在に続く「わたし」の 始まりであり

 

これからどんなに時間が経とうと

あの感覚だけは 消えない

 

もう一度 同じところには帰れない

もうあの家は ない

 

もう一度だけ 帰れないかなぁ

もう 時間が経っちゃったね

 

一番 覚えてるはずなんだけどな

一番覚えているのは わたしであるはずなんだ

 

誰にも教えてもらうことは出来ない

思い出すたびに 遠くなる

あのこもどんどん 溶けていく

 

 

 

 

 

 

海に対するトラウマのはなし

 

こんばんは。

路地でございます。

 

今回は、今でも家族の間でネタになるお話です。

 

 

 

 

 

毎年恒例の海

 

私の地元では地区の子供会という集まりがありました。

中学卒業までの子供がいる家庭が加盟しており、毎年お金を出し合って旅行に行ったり、季節のイベントをしたり、宴会したり。。していました。

こういったことは、都会でも普通のことでしょうか?

夏は恒例の日本海へ行き、BBQしながら浜辺で遊んで、泳いで、民宿に泊まってどんちゃん騒ぎ。花火して、肝試しして、、普段、山の合間に住んでいる私達でしたので、この非日常感がとても好きでした。

旅行中は大人も普段のリミッターを外して遊びまくるのです。

 

ある年。

おなじみの海岸へ。私は妹と海辺で遊んでいました。

ある男の子のお父さん(以下Y父)が、目を輝かせて言いました。

「おれの同級生ここにいっからよ!子供だぢばボートさ乗らせでけっと!(俺の同級生がここにいる。子供達をボートに乗せてくれるってよ!)」

子供達は大喜びで押しかけました。

大柄で髪がチリチリで、全体的に黒いおっちゃんが待ち受けていました。サングラスが印象的でした。(以下ボートのおっちゃん)

 

エンジン付きのボートだって!かっけえ!!

 

オレンジや黄色のライフジャケットを身につけながら、あっという間にテンションMAXです。

 

ボートの広さ的には定員6、7人ほど。

一回目の航海は兄やいとこのMちゃんなど、比較的子供達の中で年長組が乗って、しばらくして帰ってきました。

その一回目を年少組は見ていて、その時点でもう早く沖へ繰り出したくてたまらないといった様子でした。

1回目には親も2人ほど乗って行ったので、子供の数は4人くらいでしたが。。

なんせ我一番にとせがむ子供達です。囲まれてわーぎゃー攻め立てられ、ボートのおっちゃんはとうとう言いました。

 

「あ〜もういーさげ乗れ!乗れったげ乗れ!(いいからもう乗れ!乗れるだけ乗れ)」

 

結局、2回目は

私、 妹、 Yくん、 Tくん、 Cちゃん、 Rくん の子供達6人と

Y父、そしてボートのおっちゃん という、8人で乗ることになりました。

 

いよいよ沖へ!

 

なんとも爽快でした。

ボートはものすごい速さで、地平線を目指して走り出します。

人がどんどん遠ざかり、民宿がどんどん小さくなり・・ダイレクトに感じる風の気持ち良さ。潮の香り。四方一面の群青色。白く泡立つ波。

 

海ってこんなに広いのか!(当たり前か!)

 

妹はまだ、状況がよくわかっておらず、終始私にひっついていました。

しかし他の子達は、生まれて初めての船上に興奮し、ギャーギャーと騒ぎまくっていました。

 

私はというと。。

例えるならゲームボーイRPGをしていて、バグが起きて普段行けないマップの場所に降り立ってしまったような気分でした。ある意味、非日常の中にして、更に異質な状況。なんとも言えない恐怖という部分も、感じていたと思います。

ふわふわと夢の中にいるような感覚でしょうか。

それでもスリルが良い役割を果たして、とっても良い気分になっていたのです。

 

 

ーーーその時。

 

エンジンの音が、だんだんと減速していきました。

 

止まるのね。ここでしばらく日光浴でもするのかな。といった感じで景色ばかり見ていた子供達をよそに、大人2人が焦り始めました。

違和感を感じた私は、耳をすませて会話を聞きました。

 

「は?嘘あべ」「連絡取れや」「やべえなこれ」「おめどげすんな」

 

聴こえてくるのは明らかに普段の様子と違う、大人のマジなトーンでした。

 

ここで私は、もはやこのボートが自分の力で進んでおらず、ただ大海原に身を任せ揺られている状態であることに気がついたのです。

 

 

冗談じゃない?

 

ボートが完全に止まり、エンジン音も途絶えました。

小さな船上。会話は隠すことが出来ません。

ボートのおっちゃんは観念したように、それでも子供たちを不安にさせまいとの声色で言いました。

 

「えー・・、このボートは、壊れてしまいました!」

 

まるで冗談のような一言でした。

しかしこのおっちゃん、・・なんか、なんか全然危機感ない。

 

そしてそのボート、床が一部補修されていて、そこから少し海水が漏れ出てきていた記憶があります。

 子供達の中で最年長のTくんとYくんが、その水をかき出していました。と言っても、あまり動かさなければ大丈夫なようでした。

 

その光景もあり、子供達は次第に「え??このボート沈むの??」と思い始めました。

Y父もいつもはおちゃらけ担当なのでしたが、この時ばかりはマジトーンでした。

 

「・・おめらジャケット着ったが。船もう動がねがもしんね。泳ぐ準備しとげ。(お前らジャケット着てるか。船はもう動かないかもしれない。泳ぐ準備をしておけ。)」

 

半笑いだけど覚悟を持った顔で放ったその一言で、子供達は本格的に焦り始めました。

 

 

生還プラン

 

 

どうやら、Y父によるとこのボートは完全に沖で孤立してしまい、浜辺におかしいと気づいてもらえなければ助けはこない状況のようです。

子供達は、幸い皆泳ぎが得意でした。

男子共はほっといて、私と妹以外唯一の女の子であるCちゃんもスイミングスクールに通っており、泳ぎが得意でしたので、大丈夫(というかとりあえず泳げる)だろう。と踏みました。

 

問題は、私と妹です。

  

妹は、、妹は、何としても私が!守らねばならない。

 

その時私は人知れず、固くそう決心しました。

 

私は泳ぎが得意ではありませんでした。

しかしこの状況、どうやっても泳がなければ助からない状況で、真っ先に考えついたことは「妹をどうやって助けるか」でした。

 

ボートが立ち往生している位置からは、黒く突き出た岩が見えました。

人が3人くらいはしがみつけそうです。

妹と私なら、波の上に出た状態で足場として利用出来る。

まずはあの岩山まで、妹を抱えてたどり着けさえすればいい。ライフジャケットは着ているし、手を離さなければ大丈夫。とにかくあそこまでバタ足だ。

そんな計画を、静かに練っていました。

 

 

船酔い

 

そんな折、ボートのおっちゃんが叫びました。

 

「はーい、おめら気持ち悪い人は言えよ!海さ吐いだっていーがらな!」

 

確かに意思をなくしたボートは、波の力で普段とは違う揺れ方をしていました。

容赦ない動き。セーブできずに動かされているような感じ。

その一言で子供達も、思い出したように船酔いを感じてきていたのでした。

 

「何、おめ気持ち悪いながw」

 

船べりに寄りかかっているY父が何かを悟ったらしく、ボートのおっちゃんを茶化しました。

その時。

 

ボートのおっちゃん「うえええ」

 

Y父「うわ!おめえきったねずww」

 

 

ついに、ボートのおっちゃんは身を乗り出し海に向かって吐き出しました。

 

 

『いやお前が吐くんかい!!!!』

 

 

明らかにそこにいた子供達は皆、心の中で突っ込みました。

 

「いやアイツ吐いてっし!」「まじかよ」

 

Tくんが我慢ならずビシッと言い、船上は何とも言えない空気に包まれました。

女子達は、見てはいけない光景を、あまりにもフランクに見てしまったショックで何も言えません。

Y父はクツクツと笑いながら、黒光りしている背中をベチンと叩きました。

 

Y父「おめーが一番気持ちわりーんじゃねーかww」

 

ボートのおっちゃん「わりーわりー」

 

シビアなコントを繰り広げている大人たちをよそに、子供達が一番思ったこと。

 

『ゼッタイ飛び込みたくない・・!!』

 

これにつきました。

だって初対面のおじさんが今まさに吐いた水面へ、飛び込みたいと思いますか??

 

もはや、カオスです。

道を塞がれたような、雷に打たれたような、バグ中のマップ上で更なるバグが発生したような気分になり、私を含む子供達は立ち尽くしました。

ボートは、どんどん沖へ入り込み、海辺はもう細い線にしか見えません

泳ぐにしても、どれだけの距離なんだ。これ・・私には、無理に決まってる。

あの時人生で、一番の絶望を感じました。

 

 

 

救出、生還

 

そんな感じでどのくらい時間が経ったでしょうか。

結局、しばらくして迎えが来てくれたことは憶えています。

Y父が携帯で連絡を取ってくれたんだと思います。

携帯はもっていたけれど、電波が入ったり入らなかったりでなかなか連絡を取れずにいたようです。だから余裕があったらしい。Y父。子供達へは、冗談で泳ぐ準備しとけ、なんて言ったらしい。神経疑うわ!笑

 

さすがに携帯もなかったら、もっともっと辛い記憶になったかもしれません。命すら危うかったかも。

 

牽引されて戻る途中、夢からだんだん醒める感覚で、ぼーっと日が落ちてきた空を見ていました。

 

よかった。これでみんな助かるんだ。妹が、助かってよかった・・。

 

当然、自分にとっては、これ海にまつわる大大大事件なのでした。

 そして初めてのトラブルと死の恐怖を、いっぺんに経験して、笑い話にしている大人たちを少し憎たらしく感じたのでした。

しかし私も、

 

こっちはどんだけ覚悟決めたと思ってるんだ!!!妹を怖がらせやがって!!!

 

そんな思いは日が沈む頃には消え去っていました。

 

 夜は、会食も温泉も、その話題で持ちきりでした。私自身もふわふわと他人事のように笑っていました。それ以来、エンストした上にボートのおっちゃんが吐いた話、として笑い話になっています。

 

 

トラウマになった海

 

今思えば、あの体験こそが非日常だったと思います。

毎年の旅行なんて、全然、日常だと思えてしまう。

 

実はその次の年に家族旅行で沖縄へ行き、グラスボートに乗って沖に出るという体験をしたのです。

 

グラスボートとは、小型船舶の中心が細長くガラス張りになっていて、船員がのぞき込める仕様になっている観光船のことです。

 

つまり、浅瀬から沖までを肉眼で、リアルタイムで観ながら航海できるのですが、

 

海ってある程度浜辺から進むと、いきなりドーーーーーンと海底が見えなくなる瞬間があるんですよね。

 

船の床一枚隔てて、地面から完全に離れているこの広大な空間を、水だけが満たしているという事実。

 

ウミガメを見よう!という企画だったと思うのですが、その光景を見て、事実を知って、ウミガメなんてもういいから帰りたいと思った。ただ、戦慄しました。

その時の私にとって、そこは画面や紙面で見る美しい海ではなく、灰色に濁った底なしの魔境でしかなかったのです。

 

あの、沖でボートが立ち往生した時も、とりあえず泳げば、、なんてプール感覚で思っていたのは真っ赤な勘違いでした。

あの時ボートの下には、想像もできない世界が広がっていたのでした。

 

もちろん海が広いなんてことはとっくに知っていたけれど、あの年齢で、身をもって体験した恐怖は自分の中にトラウマのようにして残っています。

 

あれから綺麗な海もたくさん見てきたけど、海の最初の印象はやっぱり『恐怖』ですね。

 

 

 

さて、今回はこんなお話でした。

お付き合いくださり、ありがとうございます。

 

 

f:id:t-sameco:20160831175317j:plain

 

海の写真なくて、ごめんなさい!

こちら落っこちそうな空の写真です。

今では毎年海に行きたくてソワソワしています笑

 

 

路地.

 

 

  

THE BEATLESとわたし

 

 

 

こんばんは。

秋の気配がしますね。もうすっかり夜は涼しい。

 

今回はわたしのTHE BEATLESにまつわるお話をしていきたいと思います。

忘れたくない思い出ですので、備忘録の意味も兼ねて

書いていきます。

 

 

 

 

 

皆様は初めて聴いた洋楽って何ですか?

私の場合は、『The Beatles』でした。

 

今考えると多分8,9才くらいだったと思うので、ビートルズがどれだけ世間で有名な存在か知らない状態でしたね。

 

小学生に入り、すぐピアノを習い始めた私は

とても練習嫌いな問題児でした。

自分からピアノを習いたいと申し出たのにレッスンになると行きたくなくなっちゃうという。ありがちですね。

ブルグミュラーあたりまでは楽しく弾いたのに、ソナチネがきて、ショパン、バッハ、、ほんとの有名クラシックになった途端、ン〜〜ワカンナイ!という感じでしょうか。前記事にも出てきた友達がジブリやアニメの曲を弾いていたので、それが羨ましくてヘソを曲げていたのかもしれません。

 

ある夏の日、日曜日だったと思います。父が二階の部屋に私を呼んで、ラジカセを起動しました。

どうやら父が好きな音楽を、それもとっておきのやつを、小さな私に教えてくれるそうなんです。

子供ながらに疑い深かった私は、頭のどこかで「父の聴いている音楽なんて自分に理解できるのか」と思っていました。

いつも家族で出かける時に車でかかっている松たか子や、兄と布団ダイブする時大音量で流すウルトラマンティガではないということです。そうなってくると、天才テレビくんのED「頑張って!ダーリン」か?忍たま乱太郎の「0点チャンピオン」かな?どれも違いそう。

父がそのCDをどこから取り出したのか全然分からなかった。全く手品のようでした。

そうこうしているうちにグレーブラックのスピーカーから聞こえてきたのは、ピアノの音色。なんかモコモコした音だなあ、と耳を凝らしたら、合唱曲みたいなフレーズが聴こえてきました。レッスンでもよく耳にする基本のドミソの音だったので、そればかりを追っていて「これは繰り返しのフレーズでできている」ということはとりあえず理解しました。音の部分だけを聴かせてもらってお腹いっぱいになった私は、英語に全く注目できず、それが洋楽だという認識も出来ないでいました。

 

曲目は『Let It Be』でした。

聴き終わるとサビの印象が強かったらしく、数日間は「レリピー、レリピー」と繰り返しながら兄と一緒に茶の間のテーブルの周りをぐるぐる回っていました。

 

そんなある日、「路地、レリピー弾いてみたら?」と母が言いました。

耳だけは良かった私は、すぐにサビまでの繰り返しのピアノフレーズを弾いて見せました。「どうだ!」と母を見やりましたが、母は「おお、すごい」という一言を残して、すぐ台所へ向き直っていったのです。どうやらあんまりびっくりしてくれないようです。その時違和感を覚えました。今弾いたものは、完璧にCDと同じフレーズではなかったのです。やっぱりどこか違う。もっと違う音が入ってる。この音か、違う。お、これか?ここか??

そんな感じで繰り返しフレーズをコピーしようと夢中になりました。今思えば、母と父が共謀して練習嫌いの私にけしかけたのかもしれません。

 

それが私とビートルズの出会いでした。

 

 

 

 

 

 

またしばらくした日の、小学校の昼休みのことです。

 

私には好きな先輩がいました。人生で初めて出来た「気になる人」でした。恋愛どうこうなんてまだ考えられません。たぶん「目が細くて背が高くて、いじわるな人」が好きだったんだと思います。カズくんと呼んでいました。掃除の縦割り班で、カズくんは私の班の班長さんでした。掃除の時間があれほど楽しみだったのも、あの時くらいでした。からかわれては突っぱねて、でも嬉しい。もっとかまってほしい。時々優しいとすっごくドギマギする。兄と同じくサッカーをやっていたカズくんは兄とも仲が良く、兄もカズくんといる時ばかりは一緒になって私をからかったりするのでした。

カズくんは6年生でした。私が今3年生ということは、同じ中学校に行ってもカズくんはそこにはいないということです。

昼休みが終わって教室に戻る時、階段の踊り場で、ひとり「Let It Be」を口ずさんでいました。英語は超適当でした。

その時階段には誰もおらず、吹き抜けの場所に響くのがすごく気持ちよくて、ちょっと声を大きくしました。

その時、進行方向からカズくんと兄が急に降りてきたのです。

パッと音を止めたのですが、もう遅かった。カズくんと兄は笑いながら「最近レリピー好きなんでしょ?レリピーレリピー」と、からかってきました。

いつもは身長が小さいことやちょっとコロコロしていることばかりをいじられていたのに、、すっかり気をぬいていた。自分からネタを提供するという余計なことをしてしまったらしい。

いつもよりものすごく恥ずかしくなってしまい、その時は何も言い返せませんでした。「頭にカッと血がのぼる」というのはまさにこのことです。昼休みの放送で音楽が流れていたからまだよかったけど、本当に無音の中だったら泣き出してしまって、更に恥ずかしいことになっていたかもしれない。。そのくらい、カズくんがいる前では構えてしまっている私でした。とにかく恥ずかしすぎて、一刻も早くその状況を脱したかった。

3年教室に行くには階段を登らなければなりません。普段3年生以上は西階段または中央階段を上っていて、東階段は2年の子達が唯一行き来する方でした。そこを通ると、3年教室まで2年の子の波に混じって歩くことになります。それは、、ちょっと、いやかなり勇気がいる。

少し考えて観念した私は、この恥ずかしさをごまかし切ることにしたのです。ずんずんと足早に階段を登り、すれ違いざまに兄の白Tにパンチをくらわせました。私も赤いトレーナーの横っ腹に腹パンをくらいました。

カズくんはというと、歯ブラシみたいな細っこくて白い脚をくねらせて、終始くつくつと笑っていました。

めちゃくちゃ憎たらしい。でも私はカズくんに腹パンすることはできなかった。

だから、ここにもし兄がいなかったとしたらいよいよ最悪の事態になっていたかもしれないですね。

 

 

 

 

5年生くらいになり自分のラジカセを持つと、父にビートルズの赤盤と青盤が入ったカセットテープをもらいました。

 

学校では「A Hard Day's Night」「Hey Jude」「She Loves You」などポップで馴染みやすい曲を耳にしていましたが、赤盤青盤でそのイメージがガラッと変わり、一気に新しいビートルズの世界に飛び込んでいきました。

「I Am The Warlus」「Strawberry Fields Forever」「Your Mother Should Know」などダークな調子の入った曲から「Ticket to Ride」「The Fool On The Hill」「All My Loving」「In My Life」(実はこのあたりが一番音楽的には好き)などを好んで聴くようになったのです。

 

今でも変わらず聴き続けていますが、まだまだその魅力が増していきます。

本当に、あの時期にビートルズを聴かせてくれた父には感謝しています。

 

 

 

 

 

はい。

ところで、

 

ビートルズ聴いてみたい!って方、曲多すぎるしどれ聴けば?って方。。今なら

 

THE BEATLES 1」(ベストの中のベスト。POPで明るめの代表曲揃い)

    ↓

Magical Mystery Tour」(2曲ほど被るけど、ベストとは違うビートルズの一面有り)

 

とりあえずはこの順でアルバム2つ聴いていただくことをおすすめします!

 

テレビでよくつかわれてる有名どころもいいけど、ポップじゃなくても素敵な曲がいっぱいありますよ。

ラジオ聴いてると、日本のロックバンドがよくおすすめしてますよね。

中学生の時の記憶だけど、覚えてるのだとBUMP OF CHICKENの方達は「Twist And Shout」「Lucy In The Sky With Diamonds」なんかをおすすめしてました。ギター弾き語りにとっても合う選曲ですよね!

カバーも数え切れないほどありますが、個人的にはLove Psychedelicoビートルズカバーがおすすめです。女性ボーカルで歌われる彼らの曲も美しい。力強く、しっとりとメロディの奥のコードやハーモニーを感じられるようなカバーをされています。

 

さあさあ、今回はこんな感じで綴ってまいりました。

 

ここまでお付き合いくださった方、もしいらっしゃいましたら

本当にありがとうございます!

しょーもない思い出話でした。

 

さいごに

The Beatles大好きです!今までありがとうビートルズ。これからもお世話になります。

 

 

 

 

f:id:t-sameco:20160902213850j:plain

 

 

 

 皆様、ぜひこの機会にビートルズ聴いてみてくださいね!

 

 

ではー。

 

路地.