Chipped Chocolate Cake

ひとりごとの小屋ん中

8月最後の日

こんにちは。関東は晴れて風もあって、今日は掃除洗濯日和でしたね。

 

今週のお題特別編「はてなブログ フォトコンテスト 2016夏」ということで、

 七夕の頃、地元に帰った時の光景。

庭のひょうたん池と祖父です。雨の昼過ぎで、どんよりと蒸していました。

 

パステルグリーンの傘は自分が中学生の時使っていたものです。カメラを構える自分に気づくと、少しだけ笑って背を向けました。彼の日課で、生ゴミを捨てた後のバケツを池で濯いで玄関へ向かいます。

 

以前は豪快に笑いよくお酒を飲む猿のようなじいちゃんでしたが、お風呂で倒れてしまってからもう何年も経ちます。一時は人が変わってしまったような時期もありましたが、、

今は会話も畑もできるし、以前よりも病気になる前のじいちゃんの雰囲気に戻ってきているような気がします。

きっと地元の生命力の中で暮らしているおかげなんだと思います。

 

f:id:t-sameco:20160831180710j:plain

 

 

今年はお盆にも地元に帰れたので、いろんな人に会って再確認できました。

やっぱり将来は自然の近いところで暮らしたいな。

夏の好きなところは何と言っても、ひときわ目につく生命力と、少し切ないところ、ナスとピーマンの素揚げがめっちゃ美味しいところです。

後は最近やっと、冷えたビールを美味しいと感じることができました!笑

 

 

路地.

 

 

 

 

イヤホンとか音楽のおはなし

 

 

こんばんは。路地と申します。

 

 

時々文字を書いていた方が心が安定していると思うときがある。

絵を描いて人に見てもらったり、人と話したり、歌ってスッキリしたりっていう波が今は遠くに行っているような。。

絵を描くことや音楽を聴いたり楽器を弾いたりすることより、文字を書いたり作ったりしている方がはるかに頭と心が落ち着く。なんでだろう?

 

まあそれにしても、ブログに何も話題がないのは良くないので

今回はイヤホンの話をしたいと思います。

 

もともと横文字が絶望的に覚えられない性質なので、新しいイヤホンどこのやつかとか見ないでパッケージ捨ててるマンです。でも大体はsonyかオーテク。

1つ前のがiPod付属のだったんで、音漏れとつけ心地が気になってたんです。カナル型じゃないとあんなに痛くなるのね!とか思いながら。もったいないから使ってたけど。

なので去年の冬からカナル型?で、無難に白いものということで買ったやつ。家PC用には水色のカナル型、どちらも長さ1m20cmくらいのものを使ってます。

ヘッドホン?いやいやこれはイヤホンのお話ですので。。

(ヘッドホンは少し苦手)

カナル型 - Google 検索

 

 

 自分がイヤホンを初めて生活に取り入れたのって大体中学2,3年生の頃なはずだから、2004,5年くらいでしょうか。

中学2年生の時、友達から始めてCDを借りたのです。確かBUMP OF CHICKENの「FLAME VAIN」。ちょうど彼らが新曲「オンリーロンリーグローリー」を発売してオリコン1位とったときで、これまたちょうど兄が借りてきてたんだよね。シングルを。

その頃、普段レンタル店にお世話になることって習慣として全然なかったんですが、中学生ともなると周りが好きな音楽を自分で編集して聴き始めるわけです。自分で編集して聴くってのは嬉しいし、楽しいし、何より快感が違いますよね。うん。

それから自分もCDを借りることをするようになりました。一番近いGEOにはだいぶお世話になったものです。

 

そして、同じ頃初めて自分のCDを買いました。これも兄の影響で、「NARUTO」のアニメOPだったlittle by littleの『悲しみをやさしさに』のシングル。あと聴いてたのが、流行ってたレミオロメンHYORANGERANGE。デビューしたてのいきものがかりアジカン。あと覚えてるのが、アニメ「ボボボーボ・ボーボボ」のOP『Wild Challenger』とかとか。

そんな感じで「聴きたい音楽」を編集して聴き始めたんです。

MDで。

 

そう、あのMDです。自分の部屋が出来て、カセットテープとCDとMD、3つの機能が備わったAD機器を買ってもらった時期でもあったので、(やたら光るやつ!)もうそれしか頭にないくらい毎日毎日CD読み込みまくってました。ちゃんと曲目とアルバム名も書く!色ペンで。そしてMD収納ケース買ってきて棚にぎっちり収納するw 学校でのCD貸し借りが一番流行ってた時期だと思う。今じゃそんな光景ありえないのかな。あんま仲良くない子に借りパクされたりそれずっと忘れてたり。

MDプレイヤーも買ってもらったので、それはもうどこに行くにも持って行った記憶があります。おもちゃみたいなカシャカシャ感で、今考えるとバッテリー寿命めっちゃ短かったような。

 

そうですね。

中学3年生で高校決まってからケータイ買ってもらったので、中学2年から受験までの期間で音楽に対する熱の構えかたはガラッと変わったな。それまでは家に元々CDがたくさんあったので、それを聴いてたのと、あとはひたすらピアノと琴のレッスンレッスンでした。

初めて自分のイヤホンを持った時の快感は忘れません。

なんて!贅沢な聴き方!何処で聴いても音が全部聴こえてくる上に自分にしか聴こえない!しかも音こんなに大きくしていいんだ!!っていう快感、遠くの世界にあった音楽が突然自分のものになったような感覚。

 

 

そんなこんなで時は流れ、いろいろな変遷を辿りました。クラシック音楽、カセットでしか聴いたことなかったビートルズ、かっこいい男の人の声をイヤホンで聴いてた時期もありますれば、好きなアニメラジオをイヤホン大音量で聴いたりという、、甘美な経験でしたね。え、いいの?やっちゃうよ?いいの??みたいな。笑

音楽好きが高じて1台目のケータイは閉じた状態でiPodのディスプレイみたいなのが付いてる(もちろん常時再生可)ものにしました。

そして高校生活に入るわけです。

PCはまだまだ家族共用でしたが、アカウントは分けてもらって楽曲管理アプリをとりました。

 

高校でよく聴いてたのは

いきものがかり、AGIAN-KUNG-FU-GENERATION、BUMP OF CHICKEN、人からもらった(←ポイント)洋楽、The Beatles、マイケルジャクソン、ELLEGARDEN、Nothing's Carved In Stone、B-DASHPerfumeサカナクション、アニソン。そんなもんでした。

ある日、いつものようにイヤホンで曲を再生しました。

流れてきたのはドラムパターンでした。

延々、聴けども聴けどもドラムパターン。

なにこれ?こんな曲入ってないよな。。。おかしいな。てかなにこれ!こわ!!

買い物に行った母を車の中で待っている時でした。

次の曲にしてみました。

流れてきたのは、よく知っているギターフレーズ。でも曲名思い出せない。

ひたすらギター。ギターソロで一曲終わる。

 

怖くなって途中でカーナビのテレビをつけました。よかった。ちゃんと音楽と、人の声が聴こえる。もう一度イヤホンに戻る。

 

今度はギターとドラムのバスの音だけ聴こえてきた。

あ、これは繰り返し聴いてる曲だからわかった。B−DASHの「栗坊」だ。

この曲ベースだけじゃわかんない!おお、バンプか!

 

結局↑みたいな感じで、いつの間にか曲当てゲームみたいなことになってました。

イヤホンの故障っていうところにたどり着いたのは、母が買い物から戻ってきてからでした。

みなさまこんな経験ありますか?

最初はぞくっとしましたねー。

自分の耳がおかしくなったのかと思ったし、白昼夢かと思った。

 

いつも音に支障が出るまでイヤホン使い潰す派なので、それからも一回はそんなことがあったかな。といっても、曲の一部だけギターなくなったり。声だけになったり。あんな綺麗に一曲丸ごとひとつのパートっていうのはもうなかった。

今思えば市販マスター音源の、聴けるはずない1つのパートだけを聴けるっていうのはなかなか貴重な体験だったのかもしれないです。

 

DJとかVJの人たちは音源分解したりしているのだろうか。

全く世界が変わりそうですね。

楽器弾く人なら結構面白いと思う。

ギター、ベースは特に面白かった記憶。ベースなんか未知の領域だったから、こんなフレーズ弾いてたんだ!こんな風に弾いてると曲になった時ああ聴こえるんだ!って結構興奮した。

 

こんな感じで今夜は締めたいと思います。

クソどうでもいい話だったと思いますが、みなさま、なんかそんな感じの時期のことを少しでも思い出していただけましたでしょうか。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

 

良い夢を〜。

 

路地.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親友の母親が自死した話

 

七夕の次の日の朝、起きがけにキッチンで冷たいものを飲もうとした。すると、突然電話がかかってきた。画面を見ると、地元の友達からだった。

たまに帰ると、家業である農機具屋の業者として家にやってくることがある彼だった。年末年始には同級生で飲んだりしていたし、会えば普通に話す。何年も顔を合わせていないというわけではなかった。だが、なぜ関東にいる私あてに電話を??。。なんだろう。こんな朝から酔っぱらっているんじゃないだろうな。

そんな感じで電話に出た。

少々重い声で、彼はこう言った。

 

「ゆりのお母さん、亡くなったって。・・自殺だって」

 

よくよく晴れている、蒸し暑い真夏の朝である。

 

 

聞き間違えであって欲しかった。

仮名をゆりとしよう。

私とゆりは、いわゆる「ライバルのような親友のような関係、環境は近しいけれど普段心の内を進んで話すような仲にはなれない、けれどもお互いの境遇を最もよく分かり合える存在」だった。

 

胴の一帯に、ずん、と黒く重たいものが突如現れた。

電話にその後どんな対応をしたかは覚えていない。その日1日、何をしていたのか、今思い出そうとしたが思い出せない。

だが覚えているのは、次の日にだいぶ前から決まっていた大切な用事があった私は、『今日これから地元に帰る』という選択肢にたどり着けなかった。ということだ。なんなら、もう頭の中では無かったことにしていたかもしれない。

 

夕方、母から電話が来た。

 

「路地、帰って来い」

 

この時、初めて

『今から地元に帰って、明日ゆりの母親の葬式に自分は参列しなければならない』

という事実にたどり着いた。

咳が切ったように涙が出てきてしまい、頭が真っ白けっけになった。ただ大きな感情の波に陥った。その時間まだ都内にいた同居人に慌てて電話をかけた。かなり支離滅裂な日本語と不細工な声で、これから地元へ帰る旨を説明する羽目になった。

 

だって、親友だったのだ。

ただすごく仲が良い、というところを超えていたと思う。

幼稚園から一緒で、きっかけは覚えていないけれど、気づいた時にはお互いの家に遊びに行く仲だった。小学校に上がり、1年生の時からただ2人、ピアノを習っていた私とゆり。中学校でクラスが2つになると、私とゆりは絶対にどちらかのクラスに分配され、それぞれ合唱の伴奏役をしてきた。

もう一つの楽器の習い事も、ゆりから誘われて始めた。そちらは高校生まで続いて、資格を取るまでに頑張った。不思議な縁だと当時から思っていた。

ゆりは本当にすごい。

なんでも冷静にこなすし、頭もすごくいい。一方私は要領が悪く、記憶力がない。ゆりはレッスン中アドバイスされたことを、すぐモノにしてやってのける。私は時間が終わるまでやり直しの連続。作法やなんかを私が突っ込まれ、なぜかゆりは可愛がられる。学校でも学級委員長、生徒会長、代表。なんでも経験していた。

それなのに、さっぱりとした性格で、恋愛ではそういう話が途切れたことはないのに全く嫌味がない。

今だって、その頭の良さを活かして博士課程を取り、研究職を目指している。

そんなゆりの、お母さん。

朝の知らせを聞いてから、無意識に避けていた。帰る事になり、やっと思い出せてきた。あの人だ。私、ゆりとあんなに一緒にいたから、覚えている。

ゆりに付いて発表会に来ると、終始冷静にゆりを見守っている。いつも着ていた白いトレーナー。赤いチェックシャツ。ゆりに話しかける声。黒髪。優しい声色。

 

次の日、葬儀場の入り口で久々に見た彼女は、私が最も人生上で見たくない彼女の姿だった。彼女の母親に怒りすら覚えた。どこにもぶつけようのない怒りだ。この怒りを感じてしまったことが残念だった。それがさらに悲しみを深くした。

どこを見渡しても真っ黒。誰もが泣いていた。

彼女の母親が小さい頃から慕っていた近所のお父さんは、掠れ声で泣きながら『なぜ、なぜいってしまったのですか、〜ちゃん』と問いかけた。私だって小さい頃から知っているお父さんだ。そんなの、聞きたくなかった。彼女の母親の両親はご健在だったが、泣き崩れ、憔悴しきっていて支えられても立てないほどだった。クールなゆりの兄も、顔を真っ赤にして肩を震わせていた。弔辞なんて、喋れていなかった。ゆりの父親も、まだ信じきれていない、という風な感じに見えた。なんだ、こりゃ。もう見ていられない。こんなところにいたくない。あんまりだ。

小学校でゆりの家に遊びに行った頃をなぜか思い出した。ファミコンFF7して、おやつ食べて、音楽流して踊ったりした。地元が今より何倍も賑やかだった頃。大人になったとはいえ、今の年齢でこんな場面に立ち会うことになるなんて、想像もしなかった。悔しい。ゆりの家族にもたくさん思い出はあるのに、こんな形で再会することになるなんて。

ゆりの弔辞が始まった。彼女は涙声ながらも、母の死を受け入れ、未来の自分の幸せを約束し、しっかりと愛のこもった弔辞を読み上げていた。

すごいと思った。完璧な内容だった。もし自分の母親がこんな形で亡くなったら、私はこんな風ではいられない。きっと狂ってしまう。自分も死のうとするんじゃないだろうか。ねえ、なんでそんな、冷静でいられるの。そんな思いでゆりを見つめた。突然ゆりが狂ってしまわないか心配だった。

この場でもやっぱり、ゆりはゆりだったのだ。史上最悪の場所に立たされているのに、あんなに冷静だ。正直、言葉を発せないくらい泣いて欲しかった。ゆりにだって、泣き崩れてしまうくらい許してくれよと誰ともない誰かに謎のツッコミを入れてしまった。

出棺の前に棺桶に花束を入れた。綺麗なお顔だった。

ゆりはこの後において、遠くからありがとうね、という声をかけてくれた。私はウウン、としか言えず、少しの間2人で腕をさすりあって泣いた。まるで私の方が励まされているような気がした。気をつかっているのか、一歩引いていて、まだ花を捧げる人たちにお辞儀している。ゆりは、そんな子なのだ。

ああ、本当に恐ろしい。この葬儀の会場が、今この時世界で一番悲しい場所であることに間違いはなかった。

 

自殺した人は、真っ黒な穴になってそこに爪痕を残していく。

残された人は、その穴に引きづりこまれてしまわないように、しっかり立たなければならない。そして、それを近くに見つめ続けなければならない。

何てむごいことだろう。なんなんだろう。感情をぶつける先がない。死ぬしかないって、一体、どういうこと?わからない。わかる必要もない。

本当のことは誰もわからない。

 

彼女の母親は、うつ病にかかっていたときいた。

家族に責任を感じて、薬を飲むこともやめてしまった。

周りの人の気遣い、明るい声掛け、報告、移ろい、それらが全て、彼女の心には逆効果に映ってしまったのだ。そうして、ひとり静かに、静かに、決心していったんだろう。

この間お盆で地元に帰った時、幸いゆりと2人で会える時間が取れた。

しっかりと彼女はことの経緯を話してくれた。

 

多分、まだ夢だと思っている節もある。私も彼女も。

話を聞いていて、ゆりの母親から、ひどい言葉や態度をゆりが受けずにいたことが救いだと思った。

もしそれでも、彼女は冷静に話してくれるだろうか。

私は、怖い。

彼女だって必死に耐えていただろう。自分が泣き崩れてしまう葬儀こそが、彼女にとっての悪夢だったかもしれない。今回彼女は、どこかのタイミングで、声を上げて泣きじゃくるということが、出来たんだろうか。

 

もっと話して欲しい。醜くても、受け止めたい。心の闇の奥深くまで分かりあわないと。真っ黒くなって光が届かなくなる前に、かき混ぜて、空気を入れて、少しでもいいから、なんでもいいから、話してくれよ。

 

懐かしい店だったがパスタの味は全然入ってこなかった。嬉しくて、私は必死で話を聞いていた。

 

数十年後に社会で働けなくなったら、森に住むか故郷に帰るかしたいと思っている。しかし、今回のことを受けて考えた。

なるべく自分の知っている世界は広いほうがいいのではないか。

広い世界を知って、いろんな人を知って、自分はどうしたいかを知ること。自分の好きなものを側に置けるように計らうこと。その上で帰って来れば、もしどうしようもなく真っ黒い感情に襲われた時、自分で命を絶つということまでにはいかなくて済むかもしれない。

あるいは、責任という言葉、人の価値観で発せられる言葉、体裁なんかに縛られてはいけないということ。

ましてや家族に対する責任は、自分1人でどうこうなるものではないのだから、命を絶っても綺麗に果たされるわけではない。

決して、彼女の母親の人生をどうこうという話ではありません。

ただ、誤解を恐れずに言えば、狭い世界で生きて行くということはそういうことなのかもしれない、と思ったのです。

 

とまあ、話がまた支離滅裂になってきたところで

 

要するに、自死は喪失感と推し測りによって語られることになる

それは人が生きていくことと正反対のパワーが働いてしまう

そこから一刻も早く前に進むこと

そして生きている人が生きている人に、生きて欲しい人に、日々きちんと気持ちを伝えて、「生きて」って言い続けることだと思うのです。

 

以上。

 

お腹すいたのでご飯を作ります。

 

路地.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新天地

またこんな時間に更新するという笑

 

 

みなさまおはようございます。

路地です

 

最近自分というのは本当になんのために生きてるのかよく考えます。

 

人って何かこう、人生の中に生産性をどうしても求めてしまうんですよね。

なんのために生きるかなんて、正解の確かめようがないんだけどね。

 

正解がないっていうのが救いですよね。

 

なにをやってもだめだめで自信もクソもない私ですが、死ぬ勇気は持ち合わせていないので

これから少しでも前向きになろうと思います。

 

ということで。今から

「できることリスト」

書こうと思います。

 

・ピアノ

・ピアノで簡単な耳コピ

・絵を描く

・服にボタンつける

・引くほどNARUTOに詳しい

・カエルの写真をどアップで撮る

・冷蔵庫の中の食材で創作料理

イラレ、フォトショ

・接客業

 

 

やべー。

これくらいしかまじで思いつかない。

学生時代の方がもっと書けたわ!

 

今は仕事を探しながら絵を描いては誰かに見てもらう日々なんですが、あと2カ月後には環境変わってることを信じたい。

 

多分いま人生の転換期ってやつで、色々やってみるべきなんでしょうね。

みなさまの中にもし転職期間中ね方いらっしゃいましたら是非お話したいっす。

 

あ、そうだ。

 

今日と昨日アニメ映画を観ました。

 

サカサマのパテマ

バケモノの子

 

です。

 

サカサマのパテマは背景説明がとにかく少なくて、壮大な話のわりにスケールちっちゃく見えた。地下の全容とかエイジの生活ぶりとか、学校生活とか、家庭の風景、管理下の町の日常をもっと入れないと、ある話の展開が全体でどの程度の展開か分からない。感情移入しづらいし、繋がらない。この映画は特に位置関係大事だったけど、それも分かりにくかった。

あと、人物の心理描写が下手でしたね。2人急に色々悟りすぎ、わかりあい過ぎじゃね??みたいな。

さかさまの話はアイデアはいいかもしれないが、やっぱり映像だとちょっと分かりにくい気がしました。なんなら酔いそうにすらなった。

キャラは良かった。音楽も!ICOやってたので、大島ミチルさん好きです。あと、ラゴスとエイジの父さんの回想があるシーンは良かった。空にある廃墟?のシーンは他より観やすかったかな。装置の中で2人が初めて向かい合わせになれたとこも良かった。あと印象的だったのは、管理下の世界の通学路が動いてるやつ笑 みんな、無表情でただ乗って進むだけかい笑

雨降ってたシーンは傘さしてたけど、そこは傘なんかい!笑 って突っ込んだ。もうちょっとハイテクなのかと思ったわ。

 

 

バケモノの子は、サカサマのパテマの後に観たこともあり、説明が多くて良かった。きちんと、世界を描いてましたね。渋谷の描写頑張ってたな。あれくらい描いてあったので、話に入りやすい。導入の余韻もバッチリ。音も良かったし、声も良かったなぁ。染谷将太の演技わりと好きでした。ヒトの世界で育って来なかった蓮の異様さが出てたと思う。

あのモコモコちゃんは、白鯨と関係あるかな?って思いながら観てたけど、最後までモコモコちゃんでしたね。お母さんそのものではない気もしたし。

熊鉄良かったなぁ。コミカルに動いてるのが。役所さんの演技も素晴らしかった。獣人たちのデザインも好きでした。

声に関しては、俳優さんが殆どでしたが、なんか滑舌良くないような気はしました。一郎彦の声優はスタッフロールで知りましたが、宮野さん、あんただったんかw 思い出してみればたしかに、俳優の声の当て方とは全然違いましたね。闇落ちは普通の俳優さんには難しそう笑 エンディングのミスチル全然入って来なかった笑

あとは、楓ちゃんがいい子すぎるやろーと思いました。すごいよ。あそこで得体のしれない蓮に勉強教えようと思うか?バケモノに普通説教するか?お守りあげたりするか??普通に親から大事にされて育ってきた強い子に映ってしまう気がした。物語の核として、人間の心の闇(今回の登場人物では親絡み)があるから、ぽっと出てきた楓がそれをどうやら乗り越えていて、闇を抱えた蓮を受け止め、お守りを渡し、闇落ちした一郎彦には説教して、でも最終的にヒロインやってる。いきなり渋天街にも来ちゃう。

なんか都合いいな〜と思いました。構成上無くてはならない役割を背負ったキャラだから、仕方ないんだろうけどね。

大人蓮くんはイケメンでしたね。あんな見た目で世間知らずだけど強い(身体的に)、しかも硬派ときた。いいわ〜。

 

 

 

 

あ、もう7時やん。

 

 

ねれるかな。

 

 

 

 

 

 

路地.

不眠症1日目その2

 

分けました。

1000文字って読んでみると全然長くなかった。でも分ける。

 

さて、ここで『ある衝動』について弁明したいと思います。

弁明です。

 

私、どうにも最近不眠症気味なのです。

というか、朝9時ぐらいに眠気がくる。

 

ただの昼夜逆転じゃん。

 

 

なので今もうそろそろ瞼が重いです。

でもこれめっちゃいい天気!!

なにこれ!

朝日まぶっシャーーーーーーーー!!!

なんて青い空!!眩しい!眩しすぎる!

ーーすごく眠い。

 

そして気持ちよく眠りにつく。

 

これってまずいよね。

社会から離れていってる感半端ない。

身体から離れていってる。本能レベルで。

まずいのはわかってるけど、、いやポケモンgoやってるけどさ!もう結構レベル上げたしちょっと熱は治まってきた感あるし!

あとは夜の蒸し暑さと隣にある熱源のせいもあるかもしれないけどね。

 

とにかく、人生の空白期間の昼夜逆転はマジでまずい。

学生の時だって何度も昼夜逆転してたけど、もう学生じゃないし。

てか学生のそれよりある意味まずい。だってもう これどこまででも行けるじゃん。

昨日の夜に学生である妹と電話して、それを実感したわけです。

 

2年てものすごく大きい。

 

でね

「ある衝動」っていうのは、、

 

「誰か話そうよ!!!!!!」

 

ってことです。

なんかまずい気がしたんです。

一応夢はあるけど、それの実現にはコミュニケーション、それも「パッとしたコミュニケーション」が必要不可欠なんです。どんなことだって結局そう。

 

人と適当な会話して、必要以上に影響を受けずに自分の考えを深め、自分の言葉で応答する。さっと別れて干渉しない。ちょっと今までと違うエッセンスが頭の中に入る。

 

そんな感じの。

しかも今はSNSってものがあるから、ネットさえあれば家の中でもコミュニケーションに追われる。広がる人は、自然と広がっていく。

 

そう。自然と、です。

 

それが自分にはめちゃくちゃ難しい。てか、意識してる時点で多分無理。こんな時代ですら。だからとりあえず、自分の頭の中をここに垂れ流しちゃおうという算段です。

ストレス発散が大半を占めるとは思いますが、それでもここは一応「コミュニケーションの場」にしたいと思っているんです。

 

一人でほっとくとどんどん引きこもる自分を外に連れ出してくれる

本当に数少ない存在

それが「ブログ」かもしれません。

幸い、書きたいことは尽きません。もうメモ感覚で書いたりするかも。(怒んないでね)でもね。こういうのお外に出してあげることは私にとっては大事なことなんです。別に読んでる人いようがいまいが。

写真みたいに、手紙みたいに、気持ちを、状況を移す手段として

ここをお借りしたいと思います。

 

皆様、何卒ご贔屓に。

まだまだ若い小娘ですが、独り言を始めます。

 

 

路地